2015年11月28日土曜日

本日のクラスのワンシーン 2015/11/28 学習者から胸キュンの贈り物と教師の役割再考

私は常日頃から与えるよりも何倍もの目に見えないすばらしいプレゼントを学習者から受け取っていると思っています(私はそれを「キラキラパワー」とか「胸キュン」と呼んでいます。)が、それを今日、つくづく感じました。

あ、ちなみに、あと1週間で日本語能力試験(JLPT)です。

まず、今日午前のクラスのある学習者、自習用にあげた問題冊子を着々と消化中。
この学習者、エンジニアとして仕事もバリバリしてるし、大学でも教えるような人で、超多忙。
なのに、それを言い訳にしたりせず、着々と実力をつけてます。
先週末に最後の模擬試験を行ったのですが、それも言われなくてもすでに復習済み。
自力で分からなかったところだけをチェックし、今日質問してきました。

モチベーションの高い学習者は、言われなくても自ら進んで勉強するんですよね。
ここでの教師の役割は、質問にきちんと答えること。


午後のクラスのある学習者は、とにかく明るい!
宿題の間違いを指摘しても「Oh,No」ではなく「あっは~!」 と笑い飛ばすような人。
そして日本語で話そうとします。
語順はスペイン語のそれになること多々あり、語彙もスペイン語になること多々あり。
でも、ストレスなく話したいことを笑顔で話してくれるその姿勢が、とっても嬉しいんです♡
そしてこの学習者との会話は楽しくて、癒されて、気が付くとあっという間に時間が過ぎています。

覚えたことを使って話ができるって楽しいんですよね。
やっぱり知識としてじゃなくてコミュニケーションのために言葉はあるんだなって、思い知らされます。
教師は今が間違いを直す時なのか、とにかく話させる時なのかをきちんと決めて、メリハリをつけなきゃですね。


そして最後の夕方のクラスの学生。
ここはモチベーションハンパないです。
ある学習者はJLPTの勉強のために、先生からもらった分厚い教材のほかに、自分でネットで教材を探してやるほど。
先週授業を休んだのですが、理由は「JLPTの勉強をずっとしていたから」でした。
普段の授業態度にもよると思いますが、私は「どーしても合格したいんです!」と笑顔で答えるこの学習者を叱ることができませんでした。
「通常クラスに来てもJLPTの勉強になるのに~」と言って終わりです。

すごいですよね。自ら定めた目標にむかってひた走るやる気と行動力
ここに教師の出る幕なしです。
「助けて」と言われるまで、ひたすら見守るのみです。

そしてある学習者は、先週一人だったのでまたいろいろ話をしたのですが、そのときに「何か話したいテーマある?」と聞いたところ「あります!でも日本語ですぐには言えないから、スピーチ原稿まとめてきます!」とのことでした。
「じゃあ、スピーチ原稿できたら、いつかチャンスがあったとき(クラスメイトがみんな休んで一人になったとき)に言えるように原稿覚えようか」と話して終わりました。
あ、ちなみにこれ、通常の授業とは全く関係ないことです。
そして今日早速笑顔で「先生、書いてきました~♪」と渡された原稿。
手書きでびっちり2枚分。
しかもタイトル「ホメオパシー療治を利用しない方が良い理由」です。やばい。知識ない・・・(><)
でも、この学習者がどれだけの時間を使ってこの原稿を書いたのか、そこまでして言いたいことであることを思うと、こちらもきちんとしたFBを返さなければ失礼になります。

学習者って、言葉が完璧にはできないだけで、考えていることや知識はこちらよりもはるかにレベル高かったりするんですよね。
そして、本当にやる気のある人って、成績との関係の有無とか「やっても意味ない」とかの損得で動くのではなく、「やってみたい、話してみたい、伝えたい」という純粋な向上心や好奇心で動くんですね。
教師のできることは、(勉強して知識を得て)誠心誠意のFBを返すことですね。

なんか今日は学習者のキラキラパワーがハンパなくて、胸がキュンキュンしっぱなしでした。
彼らが楽しそうにしているのを見てると、私もスペイン語学校に行って勉強したくなってきちゃいました~☆
今は週1回、友人が集まる「スタディーナイト」があるので、そこでやって発散しています。


とにかく、学習者からは本当にいろいろな目に見えない大切な贈り物をもらっています(^^)
私はなんて幸せ者なんでしょう。
今日も全てのことに感謝です☆






2015年11月27日金曜日

恩師の教え

こんにちは。さすらいの日本語教師です。
本日も当ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。


私はJICAの青年海外協力隊として2007年から2009年までコスタリカに、そして2010年から2011年までパナマに派遣されていたことがあります。(詳しくは別ブログ「世界をさすらう日本語教師の日々」をご覧ください。)協力隊に参加できたこと、そしてコスタリカやパナマと言ういわゆる孤立環境で、必ずしも必要とされない日本語を楽しそうに学ぶ学習者と出会えたことが、私の日本語教師としてどう進むかの方向付けにもなった重要な分岐点だったと思っております。

それは、ある一人の恩師との出会いを抜きには語れません。
その方は、JICA日本語教師の技術顧問をされています。
もうそれはそれは、放つオーラが圧倒的に違うお方でした。
同じ空間にいるだけで、心がほ~んわかして、自分を認めてもらえてるように感じれて、お話を聞いているだけで涙が出てくるんです。
人間力、ハンパない。

そんな先生が、ついにご退官なさるときがきたと、日本にいる同志が知らせてくれました。
今年は協力隊発足50周年ということもあり、歴代日本語教師隊員約130名が、ご退官の集いに参加されたそうです。
私も日本にいたらぜひとも出席したかったです~(T_T)
これから、例えばまたJICAボランティアに参加したとしても、もう研修で先生にお会いになることはないのかと思うと、寂しくて寂しくてたまらなくなりました。

でも、今日の私があるのは先生のおかげと言ってもいいくらい、私の心には、いつも先生の教えがあるのです。

たとえば、私が自分の活動拠点を日本ではなく、海外に決めたのは、孤立環境にある学習者の役に少しでも立ちたいと思ったからで、それも先生の教え。

たとえば、日本語教師としての「さしすせそ」を教えてくださったのも、先生でした。

協力隊から帰ってきて、調子づいていた私が「私はこれからもボランティアとして生きていきたい。お金のためになんか働きたくない」と言ったことに対して「本気でボランティアでやっていきたいと思うなら、まず自分の生活を支える収入源をどうやって確保するか考えなさい。自分で自分のことがちゃんとできて初めて、そういうことが成り立つのですよ。」と優しく諭してくれました。自分の思い上がりと甘さを知った瞬間でした。

それから、大学院に進み、選んだ研究テーマも、結局先生から教わったことが元でした。

面倒くさがり屋の私が、毎年必ず年賀状をお出しする数少ない方々のお一人です。
それぐらい私にとって義理を欠いてはいけないお方だと思っております。
その年賀のつたない挨拶に、何倍もの量で暖かいメッセージをお書きくださったり、時には「これ読んでごらん」といくつかご著書や記事や推薦図書などを添付してくださったりもしました。
協力隊を離れてもなお、現在に至るまで、私の心のそばには先生がいらっしゃるのです。
今でも「先生にお見せして恥ずかしくない授業ができているか、恥ずかしくない教師に成長できているか」と、いつもどこかで思ってやっています。
先生、私、「いい教師」になれていますか?

最後に、協力隊時代にいただいた先生も大好きな谷川俊太郎さんの詩をご紹介します。
「初心忘れるべからず」。暴走しそうになる私に初心を思い出させてくれる、大切な詩です。


『若さゆえ』
                          谷川俊太郎

差しのべられた細い手
助けようとして君は助けられる
その手に
求めてやまぬひたむきな心
教えようとして君は学ぶ
その心に

(中略)

若さゆえありあまるきみだから
目に見えるものを与えることは出来る
だが目に見えぬものは
ただ受け取るだけ
それが何よりも大切なみやげ
きみの明日


これから先もずっと、先生の教えを胸に歩んでいきます。
先生、本当に長い間、お疲れさまでした。
これからも末永くご指導の程どうぞよろしくお願いいたします☆


【追記】先生は2016年3月末までご在任だそうです。







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2015年11月26日木曜日

本日のクラスのワンシーン 2015/11/26 テストの効果

ついこないだ始まったと思っていた初級クラスも、いよいよ大詰めです。
初めてとなる課テストを来週に控え、今日はそれに先立ちカタカナテストがありました。

いつもなら授業開始前はおしゃべりでうるさいぐらいなのに、今日はさすがにみんなカタカナとにらめっこ。
こちらの期待通り家でちゃんと勉強してきたようで、宿題も誰一人忘れることなくやってきました。

で、テストのあと、「どうだった?」と聞いたところ、「まあまあ・・・」という反応。
ある学習者が「テストは難しくないけど、それよりテストの前の勉強の方が大変!!何が出るかわからないから、ぜーんぶやらないといけない。」と言ってみんなそれに賛同。

でも、それこそこちらの狙いなんですよね☆

評価(テスト)の効果にはいろいろありますよね。
①学習促進
②教師と学習者双方が、今までの学習を見直し、今後の学習の調整を行う
③到達度を知る など

人って、「テスト」と聞くと、なぜかいい点とろうとしっかり勉強しますよね?
そのテストが人生左右するわけじゃなくてもです。
こちらは復習や、あいまいな記憶の定着のために、テストを利用しているにすぎないのです。
そして、ちゃんと準備してくれば、絶対悪い点にはなりません。それが成功体験にもつながります。

だからといって、テストを易しくしているわけではなく、ちゃんと「できてほしいレベル」を夢を持って設定しています。
学生は普段の授業で、または家で、テストに出る内容の練習をたくさんするのです。

だから、学生から上記のようなコメントが出て、正直「狙い通り!」と心の中でガッツポーズでした(^^)

もちろんそんなことは口には出さず、
「そう、簡単だったの~。それはみんながよく勉強したからだよ。すごいね~♪」
と、その努力を讃えました(^^)
いやいや、決して易しいテストではないので、これは本当に努力の賜物だと思います。

「来週は課テストがあるから、次のクラスで一緒に復習しましょう」
というと、「ギャー!」と悲鳴が上がりました。かわいいですね☆

さて、結果はどうでしょうか?採点してみます(^^)

2015年11月24日火曜日

人の可能性無限大(infinito)

今日のヨガで先生がおっしゃった言葉がジーンと来ました。

今日初めてイエンガーヨガをされた生徒さんが「パワーヨガよりキツい!これがイエンガーヨガなの?」とコメント。
それに対して先生は「イエンガーは動きは少ないけどmuy intenso, muy exigente(とても強くて,たくさんのことを要求する)なの。先生にもよるけど、さらに私の場合はそこでおわらせないで、もうちょっと、もうちょっと(un poquito más, un poquito más)とその人の限界を求めるの。だって人の可能性は無限大(infinito)なのに、現状維持だったら何ものびないでしょ?un poquito másの積み重ねが限界を拡げ、予想もつかなかった自分になるかもしれないじゃない?」

確かに先生は厳しいです。
厳しいというのは、妥協しない、求めるレベルが高いということです。
でもお人柄は明るく、愛を持って指導してくださっているのが伝わってきます。例えば、ヨガの先生は生徒の名前を覚えなくてもクラスができますが、この先生は生徒の名前を覚えて呼んでくれるんです。
名前なんて些細なことに思えるかもしれませんが、でもそういうところに人柄?人間性?って出ますよね。
確かにいつも「momine, un poquito más」って言われますし、姿勢とか角度とか何度となく直されます。
気を抜いたら一発で見抜かれるし、翌日筋肉痛にならない日はありません。
でも、「un poquito más」にそんな壮大なお考えがあって、夢を持って私たちを指導してくださっていたことに感動してしまいました。

「可能性無限大」はよく子どもには使いますが、いい大人、しかも仕事を大分前にリタイアしたような年齢の人に対しては使いませんよね。少なくとも私はそういう指導者を見たことありませんでした。

でもその先生は「いくつになっても人間には無限の可能性がある!」って信じて、その人にとっての限界に挑ませているんです。ヨガを長年やっている人にはちょっときつめの、おばあちゃんにはおばあちゃんに合ったなりの今日のその人の限界への挑戦。

なんか、この歳になってもそんなこと言ってもらえるなんて、嬉しくないですか?
自分の可能性とやらを信じて、どこまで行けて、どう変われるのか知りたくなりませんか?

私はなりました(^^)

そして、自分の教え子たちも同じように「可能性無限大!」って信じて指導しようと決めました(^∇^)
私もいつか学習者に「あなたたちの可能性は無限大だ!」と言ってあげたいです。

2015年11月22日日曜日

自分以外はみんな異文化

意外と盲点です。
教科書やりながら思ったこと、今まで得たことの備忘録です。

自分の「普通」「当たり前」は、ほかの人の「普通」「当たり前」ではありません。
自分がAと感じるからといって、ほかの人も同じように感じるわけではありません。
ですから、自分が望む反応をほかの人に期待するのはやめましょう。
期待が裏切られて、イライラしたりがっかりするのは自分です。

自分の価値観だけでその人の「その時の行動」を判断してはいけません。
その裏にどんな事情があるのか、知らないのですから。

自分とほかの人、どちらが「正しい」「間違っている」かなんて、ありません。
したがって、自分が自分基準で「自分は正しい」と思うことを人に押し付けても、人はそう思っていないので変わりません。
人を変えるなら自分を変えたほうが簡単です。それが「包容力」というものです。
人が変わるには、その人自身が気づいて自らそれを本気で欲することでしか変わりません。

人の気持ちや考えは、自分にはわかりません。だから知る努力や、理解する努力や、察する努力が必要です。
「思いやり」とは「自分がされて嬉しいことをする」のではなく、「相手が望むことをする」ことです。
だからといって、相手に合わせて自分をないがしろにしてはいけません。
自分を大切にして幸せにできるのは自分だけです。

2015年11月11日水曜日

本日のクラスのワンシーン 2015/11/11 休まれたらアウトのギリギリスケジュール

こんにちは。さすらいの日本語教師です。
本日も当ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。


先日も「ギリギリはいかん」という記事を書いたばかりですが、今日もそれにまつわる話です。

クラス統合計画が2つのクラスで絶賛実行中です。
一つのクラスでは早くもトラブル発生。すでに遅延が発生しています。(詳しくはこちら
もう一つのクラス、ミラクル学習者ミサコちゃんは順調にメニューをこなしていたのですが、なんと!今日は時間になっても現れません!

いつも時間より30分前ぐらいには来ているのに、時間過ぎても来ないなんておかしい。
渋滞がひどいのか、はたまた風邪で熱でも出たんじゃ、もしかして事故?など、いろんな理由が頭の中をグルグル。
15分ぐらい過ぎたところで、「もう今日は来ないな」と諦めました。

そして今後の予定をどう変更すればいいか検討したのですが、
削れるところがほとんどない!
調整できるほど余裕がある日がない!
つまり、今日欠席した分の時間をどこかで追加しなければなりません。
ああ、ここでもギリギリ、余裕なし・・・。

・・・とそこへ、30分遅れてミサコちゃん登場!!!

単にバスに乗り遅れたそうです(苦笑)
漢字とかはすっ飛ばしてフルパワーマックスのスピードで授業をしましたが、それでも予定していた項目が一つできませんでした(ま、これぐらいは次回でなんとか取り返せます)。

今日はまだ遅刻だったからよかったですが、これで欠席でもされようものならもう今の時間数では終わらずにアウトでした。

未熟な私は今日もやっぱり、遅刻しても来てくれてうれしかったと同時に「遅刻すんな!」とちょっと怒りを覚えました。急がせているのはこちらの都合なのにね。

予定通り、思い通りに行かないことも想定して、計画を立てないといけませんね。
そのためにはもっと前から動き出す必要があるということですね。

はい、今日も一つ勉強になりました。(・・・って、初めてみたいに言いますが、実は前にも同じようなことがあった気が・・・成長してません)





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2015年11月7日土曜日

仕事はギリギリでしちゃいかんです。余裕のススメ

こんにちは。さすらいの日本語教師です。
本日も当ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。


今日は以前記事でも書いた「八分目で余裕があるのがベスト」というのを実感した日でした。

今週は見落としていた仕事がちょこちょこ出現、それに時間を取られあっという間に時間が過ぎて週末になってしまいました。
結局、土曜クラスで配布予定の1か月分の資料を二日前から着手、前日の金曜も家に帰ってから最後の仕上げをしていました。
(普段は仕事は家に持ち帰りません)
12時ぐらいに完成して、さーて、保存。。。と思ったら、なぜか保存ができません。
一旦閉じたダイアログボックスがまた出てきて、エンドレスで保存が完了しないのです。
でも、ファイルが自動保存されているのは確認できましたし、疲れていたし、もしかしたら保存できているかもしれないと思い終了しました。

で、PCを再起動後、もう一度ファイルをあけると・・・。やっぱり、古いまま。
さっき確認したはずの自動保存されたファイルも消えていました・・・OMG!(>Д<)
もうこうなると、PCに弱い私はどうすることもできません。
google先生に聞いて、不慣れなPC用語満載の記事の中からぴったりの解決方法を探し出すのもしんどかったのです。

しょうがないので、またやり直し。結局3時までかかってしまいました。

朝出勤してから印刷をし、無事授業時間前に完成しましたが、学習者は遅刻するやら欠席するやらで、な~んか不完全燃焼な気分になってしまいました。「ゆうべ遅くまで頑張ったのに」という気持ちがむくむくと頭をもたげました。

まったくもって八つ当たりです。
もしこれが余裕を持って準備できていたとしたら、きっとこんな気持ちにはならなかったはず。
欠席した学習者は体調不良なんですから、しょうがない。今日渡せなくても来週には渡せるので問題ないのです。
遅刻した学習者の方にしても、予定していたことはクラス内では終わりませんでしたが、渡すことはできたわけだし、できなかったところは宿題にしてやってもらえばいいだけだから、やっぱりこれも問題ないのです。
さらにいえば、1か月分すべて配布しなくても、今回必要な分だけ作成して渡すのでもよかったんです。
「なければならない」「こうするべき」と自分にも人にも強要していたのは自分でした。

ギリギリに作っていたからトラブル起きても上手に交わせず、気持ちにも余裕がなくなって思うように動かない他人にイライラ。
睡眠をちゃんととっていないもんだから、集中力はないわ、眠気はおそってくるわ、覇気のない顔だわで、一日さんざんでした。
余裕がないと、いろんなところに悪い影響を与えてしまうんですね。

いい仕事をするには、余裕が大事

今回、身をもって感じました。いい勉強になりました。





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2015年11月6日金曜日

本日のクラスのワンシーン 2015/11/6 学習者復帰。うれしい知らせ

ある一人の学生が8月ぐらいからバケーションということで休んでいたのですが、今日から復帰しました(^^)
「また帰ってきたら/時間ができたら・忙しくなくなったら、戻ってきます」と言って一旦勉強を中断する学習者で、本当に戻ってくるのはほんの少し。なので、やっぱり嬉しいです(^^)。

とはいっても、この学習者は普段から真面目で日本語の勉強大好きな人でしたので、きっと戻ってくるだろうという確信めいたものはありました。
元クラスメートだった学習者とも再会を果たし、2人とも嬉しそうでした(^^)

さて、2~3か月間の勉強のブランクがあったわけですが、やっぱり初日はちょっとついてしまった差にびっくりしていました。
でもきっと、分からないところは自分で勉強して追いついてくれることでしょう。

去る者もいれば、戻ってくる者もいる。
過ぎ去っていくものに執着せず、目の前にいる学習者を大切に、日々の授業をしっかりやっていきたいと思います。

2015年11月4日水曜日

本日のクラスのワンシーン 2015/11/4 クラス統合計画、早くも予定通りに進まず

私の担当するクラスでは2つのクラスが今1月からの統合に向けて、進度を速めて授業をしています。
それはもちろん学習者も知っています。

でも、そのうちの一つのクラスで、2日間も休講が続いてしまいました。
親知らずを抜歯し、腫れて話せないとのことでした。
始めは「なぜこのタイミングで!?」とも思ったのですが、普段真面目で休まない学習者なので、きっと何か事情があったのでしょう。

起きてしまったことはしょうがない。
さて、どうするか??
クラス統合計画をあきらめるか、もしくはなんとかして予定通りの範囲を終わらせるか。

私たちの出した答えは、クラス統合計画続行、そのために、毎回の授業時間を1時間延ばす、というものでした。

今日、その学習者が来てくれました!
それで早速今日から+1時間で授業をしたい旨話すと、了承してくれました。
とりあえず、一安心です。
さらにタイトなスケジュールになりますが、なんとか持ち直したいです。

そして、どうかどうか、体調管理だけはしっかりと、どうか休まないで来てほしいと願うばかりです。

2015年11月3日火曜日

本日のクラスのワンシーン 2015/11/3 初めてのテスト:ひらがなテスト

こないだ始まったばかりの初級1のクラスの初テストでした。
ひらがなテストです。

まだ採点が終わっていないので途中経過ですが,、私が心配していた学習者は勉強したらしく高得点だったのに対し、「この人が!?」という人が覚えていなかったという結果になっています。

単純に覚える努力をしたかしなかったか、勉強したかしなかったかが結果にもろ現れたと言えます。

文法のテストはカタカナも入ったあとで1,2課まとめてやるのでもう少し先になります。

なので、現時点ではまだはっきりしたことは言えないのですが、感覚としてはもうすでに差がつきはじめたかな、と。
勉強する習慣の有無によるとでもいいましょうか。
スローラーナーなのか勉強してないのかは、いつも学習者を見ていればわかります。やっぱりクラスでできることは限られているので、家での勉強は必須ですよね。家で自分で復習してくれないと、語学の上達はきびしいです。


習い事を始める、つまり、思っていたことを行動に移すのって、潜在的欲求→顕在的欲求→行動となるわけですから、実はとても心的エネルギーのいることなんですよね。それだけじゃなく、金銭的なこととか、時間的なこととか、場所的なこととか、タイミングなんかもそうでしょう。そういうものがちょうど合ったから、やりたかったことが始められたわけで。もちろん勉強が習慣化するまで大変なのもよーくわかります。ですが、せっかく始めてくれた日本語、できるだけ長く続けてほしいと願わずにはいられません。(まあ究極、その人の自由なんですが。)そのためにも私は、楽しくてためになる授業作り、頑張ります!少なくとも授業がつまらなくて嫌だから辞めると言われないように。。。(←これは本気で避けたいです)

さて,次回からカタカナに入ります。
みんな、楽しく頑張りましょう!